最初に彼という人物を認識したのは、同じく人格形成に大きな影響を与えた「親子ゲーム」というドラマだった思います。
当然最初は役者としての彼を知った訳ですから、アーティストとしての彼の存在を知ったのは少し後の事になります。
アーティストとしての彼も、役者の時と同じでダンディで背筋の伸びた佇まいを持ち、1990年に音楽シーンに突如として復帰した時にも、以前と変わらない軽やかな歌声を聞かせてくれたのでした。
発売後すぐに買って聞きまくった「スーダラ伝説」はメドレー形式だったから、沢山の楽曲に触れる事が出来たし、その年の紅白歌合戦で完璧なステージを見せてくれた記憶が脳裏に鮮明に残っています。
(ちなみにその年の紅白歌合戦はシンディローパーの後に長渕剛が伝説の15分。その後、宮沢りえ、忍者、再結成ピンクレディー、たま、B.B.クイーンズという恐ろしい流れの後での出演で印象深い)
当時はメッセージ性の強いクレイジーな歌詞(というか無責任)に影響を受け、楽して儲けるスタイルとタイミングとC調に無責任に憧れる中学生だったような気がします(今でもそうですが)。
今になって考えてみると、その時期はイカ天によるバンドブームでもあったのでFLYING KIDSやBLANKEY JET CITYと一緒に「スーダラ節」を聞いてたわけで、そんな中学生は少し嫌だなとも思うわけです。
中学生ながらに自分で歌おうとしても、どうしても彼の軽やかで艶のある歌声は表現できなくて苦労したのですが、笑いながら歌うという後にも先にも例を見ない歌唱法は、しっかりとした声楽の教養に裏打ちされたものですので、素人にとって難しいのは当然の事で、
「てな事言われてその気になって」
このフレーズを彼以上の説得力を持って歌う人間というのは、今後、確実に出てこないのだと思います。
無責任でブレイクした人生だった為、そのパブリックイメージと懸け離れた真面目な人柄との狭間で苦悩したというエピソードが目に付きますが、むしろその真面目な人柄と家柄(実家はお寺)が醸しだす品格こそが彼の魅力でもあり、その独特の魅力はどの分野においても群を抜いていたように思います。
追悼番組なんかを見ていると、「この様な人は今後出てこないでしょう」というフレーズが司会者の常套句として出てきますが、
本当の意味で彼のような品を持った音楽人であり芸人は生まれてこないと思うし、年々品が無くなっていく日本の芸能界を考えた時に、初めて彼の不在の大きさを感じるのかもしれません。
彼は全盛期の10年の間に30作もの東宝クレージー映画に出演しています。
残念な事でもあり同時に喜ばしい事なのですが、自分はシリーズを数作しか見てませんので、無責任且つ真剣に、そしてゆっくりと、この作品達を楽しもうと思っています。
永遠の無責任男に合掌。
大瀧詠一プロデュースの好作
植木等的音楽
植木等 伊藤アキラ SHEB WOOLEY

素晴らしき無責任の世界
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遺作が舞妓Haaaan!!!というのも彼らしい。
公開を楽しみに待ちたいと思います。
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